心は変化し続け、そして身の丈にあった生活に落ち着きました。

今まで世間で言われてきたことが「古い」常識であったり、科学的に間違いであると 立証されたりすることがあります。特に家事や育児を担う女性たちは、掃除の仕方や 子育てなどを 手探りで身につけていった課程もあり、なんだか裏切られた感じすら してしまうものです。 とりわけ頑張らなきゃ、これくらいできてなくちゃ、と張り切ってしまう気持ちが 強いと、掃除はとことん綺麗にしたり、食事は栄養面で気をつかったり、一日中気を 張って過ごしてしまった過去の自分がいました。   もし、上・中・下に分かれるとすれば私は中くらいでいいと思う人です。だから結 構手抜きもしてきました。けれども、それも後々にそんな自分になっていたのだと思 います。いつもそれで大丈夫、と思えるまでには時間がかかり、料理はレシピ本を見 てきっちり分量を量り、子供は8時までには寝かせていました。そして朝はトースト パンですますなんてだめだ、ちゃんとご飯を作ってこそ主婦、と思っていたくらいで す。そんな「主婦論」に凝り固まっていた私が、それなりに3人目を身ごもり、実家 でお世話になることに。その実家には、父と再婚で一緒に暮らす母がいました。私 は、その血のつながらない母ともうまがあって、電話もよく掛け合いました。そんな 関係が築かれてもいて、 「こっちで生んだらええよ」と、是非にそうしてほしい、といわんばかりの言い方に 甘えて帰省したのでした。   そして、無事出産を終え、帰省の時になって 「今日くらい、お弁当で大丈夫だから。親子で楽しくお弁当たべれたらそれが一 番!」そんなことを言われて、少し考えてしまいました。 だって、お弁当は作る物で、買うものじゃない、くらいに思っていた私には思いつ かないことだったからです。そもそも凝り固まった思考の持ち主の私は、水を買う人 さえもおかしいと思っていました。 水?それって買うの?お茶?120円も出して?美味しいお茶簡単につくれるの に、などなど・・。 「それって、昭和の考え(昭和うまれだけれど)だよ」とよく人から言われたもの です。 だから、義母からその言葉を受け取った日をきっかけに「心」重視の生活に切り替 えられた、そんな気がしています。何しろ3人目です。とにかく手を抜かないことに は日常生活が進んでいきません。なんでもタイミングがあるのかもしれないな、と今 になって思います。もし、それが出産後でなければ心に届きはしなかったのかもしれ ないし。それからの変化はすごかった、と思っています。上手に手を抜くことが、い かに心を健全に保っていけるかにもかかっていると思ったりもします。   最終的には様々な「余計なもの」を殆ど手放すことにも成功しています。掃除道具 もバケツとタオルがあれば事足りる、とスポンジ関連は台所の食器洗いくらいです。 今はそれさえも要らないかも、と思ってしまってる自分がいます。だから食器洗い機 もありますが、必要ありません。食事が終わって暫く経ってから食器の拭き取り作業 や片付けをするのは面倒すぎると思えるからです。あとの洗浄機洗浄も絡んでくる し、そもそも置き場所も勿体なく思えて、とうとう取り外してしまいました。これを 欲しくて購入する人もいるのに! トイレマットもキッチンマットも要らない、マットを洗わなければならないし、替 えも必要になって、不経済、といつも拭いていればいいことだとも思えます。   ところで、私が手放した一番大きな物は、何を隠そう「家」なのです。我が家は近所でも目立つ3階建てで、その大きい家に、3世代同居している。しかも、4家族で す。掃除も食事も仕事もこなして常にフル回転で動いていた私は、さすがに持ちこた えられませんでした。すべての家族の甘えを受け止めることはできません。人生の終 わりまでこの大きな家の掃除をし続けるのかと思うと、無理だと悟りました。だから 独り、家を出て身の丈にあった部屋に住み、身の丈にあった暮らしをしています。そ れで十分です。